RSSArchive

Stratosphere

Everytime Quote...

1
Sep

「公共圏にただ1つの見解しかない」状況は異常であり、さまざまな多様な意見や見方が存在することこそ正常だ。そして、発言権は、本来は、競争条件の中で獲得してゆくものだ。つまり、公共圏が公共圏になるために必要なのは、競争条件の導入である。

 そのためには、最低限、つぎの2つの条件が満たされなければならない。第1は参入障壁がないこと、第2は価格が自由に変動することである。

 では、新聞やテレビに代表される既存のマスメディアは、これらの条件を満たしているだろうか。いずれに関しても、「No」と考えざるをえない。第一に、参入規制は著しく高い。テレビについては、地上波であるためにチャネル数が技術的要因で著しく制約されており、典型的な規制産業になっている。

 新聞についてこのような技術的制約はないが、寡占状態だ。実は、新聞に関する現在の日本の体制は、戦時中の「一県一紙主義」で多数の地方紙が整理統合された上に築かれたもので、戦時体制の権化ともいえる存在である(日本の全国紙の発行部数が異常に多いのはそのためだ)。大新聞の記者や論説委員は、戦時体制の遺産の上にあぐらをかいているのである(私はこうした体制を「1940年体制」と呼んでいる)。記者クラブなどのインプット面での特権はしばしば指摘されるが、それだけでなく、アウトプット面でも特権的な立場にいるのである。

 価格競争については、再販制によって排除されている。そして、日本のマスメディアは、その自由化に強固に反対している。

 要するに、現在の日本のマスメディアでは、競争思想は否定されている。「競争する公共圏」という発想はない。

 インターネットに否定的な立場をとるのも、この延長線上だ。インターネット空間は、制御のきかないアナーキー的な競争が支配する場だと考えている人が、マスメディアには多い。だから、積極的にインターネットに対抗するものとしてのメディアの構築が必要と考えられている。

「食料自給率40%」の虚構さえ見抜けぬマスメディアの不勉強 | 野口悠紀雄が探る デジタル「超」けもの道 | ダイヤモンド・オンライン

前にEvernoteにメモってたやつが出てきたのでtumblrに再ポスト。(注意:2008年の記事)

(via burnworks) (via yaruo)

Page 1 of 1